発達障害ライフ

発達障害当事者が体験や得た知識を書いていきます

発達障害当事者の就労体験談

 僕、北田シンの就労の体験談を書いていきます。成功例をあまり体験していないので、反面教師及び当事者の方々が就労の際にどのように工夫・改善してみたらよいのか考える参考にしてくだい。


発達障害無自覚時代(学生バイト~成人後数年))

 僕は元々根が真面目で、勉強においても仕事においても手を抜かず遅刻・無断欠勤などもしないタイプであり、指示された内容通りに仕事を行い、挨拶や報告・連絡・相談もきっちり行っていました。

 友好的な人や慣れた相手でないと自分から話しかけるのが苦手なため、上記のような最低限の言葉のやりとり以外は業務に関係のない会話は自分からすることは少なかったです。
 上司・同僚の方から話しかけられた場合はその内容に一通り答え、無視したり無愛想な答え方はしないで敬語で無難な応答をしていた覚えがあります。

 

 ところが最初は優しかった上司・同僚達の言動が時が経つにつれてだんだんとキツイ態度や言い方に変化していきました。何故なのか理由が全くわからず、単に性格の悪い人達に当たってしまった、運が無いなと理不尽に感じていました。

 今思い返せば、おそらく発達障害特有のトロさ、覚えの悪さ、指示された内容の理解不足、で迷惑がかかり、必要以上のコミュニケーションをとれなかったことで人情的な補正もかからず味方してくれる人もできなかったのだろうと思います。


 そのようなわけで、様々なバイトをしましたがどのバイトも1週間~2ヶ月ほどでクビにされてしまいました。専門学校を卒業した後に就職したデジタル系の会社でも、「もう明日から来なくていい」と言われてしまいました。

 

 真面目に一生懸命仕事しているはずなのに、やる仕事は全部クビにされる。


 原因のわからぬまま自信を失い、心が折れ、20代前半で引きこもりになってしまったのです。


発達障害診断後

 2年の引きこもりの間に発達障害の診断を受け、主治医や行政機関・支援施設からの助言を元に自分のできる範囲で行動を工夫・改善し、父親のツテもあって運よく社会復帰しました。


 自力での社会復帰は難しく、書類選考で引きこもりの期間の空白を悪くとられてしまうことや面接での応答の失敗により何社も落とされていたので、もし父親が何もツテを持っていなかったら社会復帰できなかった可能性もあると思います。

 

 社会復帰はできましたが、障害と空白期間という負の要因を二つも抱えているため、正社員にしてもらえず給料の安い仕事しか選択肢がありませんでした。
 アスペルガーの特性のため、健常者の男性より体力と腕力がまともに伸びず、肉体労働は適性がなく、得意であった数学・理科・パソコンのどれかのスキルで仕事するしかありませんでした。


 事務職は基本的に管理者やレベルの高いスキルを持ってる人以外は男性を採用したがらない会社が多いので、本来自分の席が無かった郵便局の事務職への配置に話をつけてくれた父親には本当に感謝しています。

 

 安い給料でパートでも無職のままでいるよりははるかに良いので、事務職を継続しますが、やはり先の事を考えると正社員での仕事でないと色々と問題があると感じたので、郵便局で仕事をしながら正社員での募集を探し、無事見つかったので履歴書を送り、採用されて転職が決まりました。

 

 正社員待遇で転職できて喜んだのものの、しかし待っていたのは正社員とは名ばかりの待遇でした。


 最初は将来性があるような説明をされていたのに、いざ就労を継続していくと、1年働いても給料の手取りが300円しか上がらないという最低待遇(時給に換算すると2円)。
 2年目、3年目も同じだったので、最初から障害者は昇進昇給させる気が無く、まともに使う気がなかったのだと感じました。国の方針で最低限障害者を雇わなければ罰則があるので、給料は安くてもとにかく雇い続けてさえいればいいというスタンスです。
 実際、多くの発達障害当事者から話を聞くと、障害者雇用発達障害者に対してこのような扱いをする会社はかなり多いです。

 

 たしかに自分はお世辞にも健常者ほど仕事ができるとは言えません。
 得意分野だけなら2~3人分の処理速度がありますが、能力の適用範囲が狭すぎて限定的にしか役に立たず、ミスの多さや指示の理解不足など発達障害の特性を踏まえると長所を相殺して総合的にはマイナスになってしまうのです。


 結局、上司・同僚からもだんだんと疎まれ、イジメを受け、1ヶ月の休職の後に辞めることになりました。

 再び仕事探しをしなければならなくなったものの、これまでの仕事がクビだらけで、自尊心は最低レベルまで落ち込んでいました。どんな仕事をしてもクビにされず昇進昇給を見込めてやっていける自信なかったのです。
 やってきた仕事の中で、唯一クビにならなかった郵便局に出戻りするしかありませんでした。
 1度までなら出戻りも寛大に受け入れてくれるとのことで、なんとか郵便局の事務仕事に復帰しました。評価ランクをAまで上げれば正社員になれると父から聞いたので、それを目指してがんばることになります。

 

 しかし、真面目に仕事をしても最低ランクの評価Cから上げてもらえないまま3年が過ぎました。
 障害者枠としての採用で、障害の特性的に電話対応が困難なためそれを免除してもらう代わりに他の業務を多く担当するという条件での雇用だったのですが、この電話対応ができないということが最低評価のままという理由でした。
 障害的にどうしようもないので上司と話し合うも平行線のまま交渉は決裂。昇進の希望が潰えたかに見えました。
 幸いなことに、1~2年ごとに上司が転勤で入れ替わるので、上司のやり方次第で評価の基準もいくらか変わります。
 4年目のときに入れ替わりで来た上司がやっと話を聞き入れてくれてランクをBに上げてくれました。
 その後は上司が代わる度にランクを上げてもらえなかったり上げてもらえたりの変動の連続でした。

 

 努力のかいもあり、なんとか正社員の条件であるAにだどりつきましたが、今度は正社員のための試験の条件が難関でした。
 同時に何人もの健常者社員が試験を受け、彼らに「通常時の仕事の出来」と「試験の点数」を両方勝たねばならず、更に面接で偉い方々からOKをもらって初めて正社員になれるというものでした。


 しかも、会社側は事務職や障害者ではなく、体力と営業力(コミュニケーション能力)のある配達の社員を昇進昇給させたがっていました。
 当然ながら全ての条件が自分にとっては逆風となってしまい、試験を受けるたびに落とされを繰り返すことになります。
 ランクは上がりましたが、電話対応のぶんのマイナス扱いは依然としてあり、それが通常時の仕事の出来の評価にも関わっていました。
 アソシエイト社員という、パートと正社員の中間点のような扱いにはなれたましたが、これ以上の昇進昇給はもう無いため、先を考えたらこのまま正社員になれないのは明らかです。

 

 これまでの自分の頑張りは何だったのだろうと思います。


 かといって、20代半ば頃と違って今更転職しようにもこれまで体験してきたクビ案件の問題に加え、年齢が30を超えると一つ採用のボーダーラインが難易度上昇します。
 あまりにも見込みの無い条件ばかりが重なっており、ヘタすると転職先の方が今よりも条件が悪くなる可能性すらあります。
 起業や副業をしようにも、それらに詳しい支援者も人脈もなく、経験も能力も頭も足りない。

 

 結局、どうにもならず未来への見込みのないまま方法を模索しているのが現状です。